「塔の上のラプンツェル」考察~魔女ゴーテルが拒絶された理由は「心理操作」にあった~

昨日の都内はけっこう雪が降りましたね。
寒かったので、午前に喫茶店でレターを書いた後は、
家に引きこもって「塔の上のラプンツェル」を観たり昼寝したりしていました。

 

「ラプンツェル」は、とある事情によって
生まれつき特殊能力を持つ女の子です。

 

彼女の能力を簡単に言えば、
歌をうたうことで傷をいやしたり、
人を若返らせることが出来ます。

 

もともと彼女はとある王国のお姫様なのですが、
生後間もなく、彼女の能力に目を付けた「わるい魔女」に攫われて、
塔の中に幽閉されて育ったために、
自身が高貴な生まれであることは知りません。

自分を攫った魔女ゴーテルを母と思い込んで毎日を過ごしています。

 

相棒のカメレオンと一緒に壁面に絵を描いたり、
編み物をしたり、キャンドルを作ったりしながら、
日がな一日を塔の中で過ごしています。

「塔の上のラプンツェル」は、
そんな彼女が自らの人生を取り戻すまでの物語です。

 

さて、僕はこのストーリーを観て、
終始「わるい魔女」のゴーテルに目が釘付けでした。

 

この「わるい魔女」は、
育つにつれて「外の世界」に興味を持つラプンツェルの言葉を挫き、
「あなたみたいな世間知らずは外界では生きていけない」と自尊心を傷つけ、
「外界は怖いところなのよ」と脅し、
「あなたのことを愛しているわ」「あなたのためを思って言ってるのよ」と、
愛情を拘束の鎖として用いてでも、
ラプンツェルをなだめすかして何とか塔につなぎとめようとします

 

劇の後半では、
「外界で裏切られ傷ついたラプンツェルと、彼女を守る魔女」
という構図を意図的に創りだそうと、
周囲の人間すべてを欺く芝居を打ったりもします。

 

魔女は、自身が「加害者」であるとは露ほども思っていません。
紛れもないエゴで他人の人生を操作しながらも、
ラプンツェルが自身の操作から逃れようと意思を持ちはじめると、
むしろ「被害者」として傷ついた素振りを見せ、
ラプンツェルを徹底的に傷つけ、
更に心理操作を強めようと動きます。

 

つまり「魔女」は、
「サイコパス」的で「邪悪」な人間の一類型なわけですが、

最終的には自身が姫であることを思い出したラプンツェルから拒絶され、
彼女の能力によって延ばし続けていた若さを失い、
昼の光の中で灰となって人生を終えます。

 

この終末は単純に「悪は滅びる」というメッセージでもありますが、
同時に、「他人への操作が行き過ぎた先に待ちうける結末」とも受けとめることができます。

 

僕はセールスコピーライターとして、、、つまりは「操作」のスキルを備える者の端くれとして、
魔女ゴーテルの姿には学ぶところが大いにありました。

 

人は「他人から操作される」と、
無意識レベルでそれを自覚し、
自身すら気付かない形でSOSを発し、
逃れようとします。

統一教会という宗教カルトでimg
マインドコントロールを受けた過去を持つ
スティーブン・ハッサンが記した
「マインドコントロールの恐怖」という本の中に、
これを示すエピソードが登場します。

 

この本は、破壊的カルトによって
マインドコントロールを受けた人間を「脱洗脳」する方法
について述べているのですが、

著者がマインドコントロールされた信者にカウンセリングを施していくと、
信者に「一見不合理でむちゃくちゃな判断」が増えることがままあるのだそうです。

 

マインドコントロールが成立する重要な条件のひとつに、
「環境」があります。

カルトによる、信者への強烈な行動・思考・感情コントロールは、
「集団生活」の中で繰り返し思想を刷り込むことによって達成されます。

更には「外界の情報」の遮断もあわせて行うことで、
情報すらも強烈にコントロールします。

そして逆に、「集団生活」から離れると、コントロールはかなり弱まります。
つまり、マインドコントロールの維持には「環境」の設定が非常に重要となるわけです。

 

だから、カルトは信者が集団生活から離れることを恐れ、
「集団生活から離れると地獄に落ちる」といったマインドセットを
信者の深層心理にまで刷り込むのが「お決まり」です。

 

このルールを刷り込まれた信者は、
決してカルトから離れようとは考えません。

そして、カルトに所属すること自体に意義を見出すため、
脱洗脳は一般的に、非常に困難です。

 

ですが、著者が信者を一時的に外部に連れ出すことに成功し、
脱洗脳カウンセリングを行うなかで、
信者は時折「自分がカルトの教えにいまだコミットしている」ことを激烈に主張しながらも、
同時に何故か、「カルトからより一層離れる」選択をすることがあるのだそうです。

この時信者は、「自分が教義に反する選択をしている」とは全く自覚しません。
意識上ではカルトに依然愛着を示しながら、
同時にカルトから距離を置く選択をするのです。

 

この選択は明らかに矛盾しています。

 

著者は、カルトのマインドコントロールによって生まれた「新しい人格」を「カルトのジョン」、
そして「本来の人格」を「ジョンのジョン」と呼びます。

無意識からのSOSとはつまり、
深層意識に抑圧された「ジョンのジョン」からのヘルプメッセージなのです。

 

魔女ゴーテルがラプンツェルに対して行っていた操作も、
カルトが信者に施すマインドコントロールとまったく同一です。

魔女はラプンツェルを塔に「隔離」し、
「行動・思考・感情・情報」のコントロールを密に行っていたわけですから。

 

ラプンツェルがゴーテルのコントロールのもとに置かれながらも
「外に出たい」と意思を持ちはじめたきっかけは、
毎年自分の誕生日に塔の窓から見える「無数の光」でした。

彼女は「無数の光」の正体をどうしても突き止めたくて、
塔の外に出ることをゴーテルに請うたのです。

(ちなみに「無数の光」の正体は、ラプンツェルを喪った国王夫妻や国民が、
ラプンツェルの無事を祈って毎年彼女の誕生日に空に浮かべた「行灯」です)

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ラプンツェルの「外界への意思」は、
国王夫妻と国民の思いが届いたからでもありますし、
ラプンツェルの無意識のヘルプメッセージでもありました。

 

ラプンツェルが終盤で記憶を取り戻したきっかけもまた、
「魔女の心理操作に対する、無意識からのSOS」によるものでした。

 

彼女が記憶を取り戻した流れは、
結構無理やりに見えるというか、
一見「むちゃくちゃ」です。

彼女は好奇心を抑えきれずに外界に飛び出し、
自身の出自を知らぬままに、
生まれた王国に一度帰還します。

そして魔女の仕組んだ芝居によって傷つき、
塔の中に再び引きこもります。

そして塔の中で彼女はベッドに寝そべり、
外の世界で手に入れた「ハンカチ」に描かれた「王国の紋章」を眺めているうちに、

自身がこれまで塔の天井に描いてきた絵の端々に、
「王国の紋章」がモチーフとして無意識に取り入れられていることにふと気付き、
それをきっかけとして出生を思い出すに至ります。

 

生後数か月の記憶の中に残っていた「王国の紋章」を、
無意識に落書きの中に潜ませていたことをきっかけとして、
記憶が戻るという、このエピソード。

 

一見「むちゃくちゃ」です。

 

でも、この場面を見て僕は、
ラプンツェルが無意識にずっと発信していたSOSの為せるわざ」だと解釈しました。

 

さて、他人からの操作を感じとった無意識が
次にどうするかというと、
【反撃】に打って出ます。

しなりを持った竹が反発するように、
操作を施してきた「外敵」に対して一矢報いろうとするのです。

 

記憶を戻したラプンツェルは一気に魔女を拒絶します。

攫われた身とはいえ、
10年以上も共に暮らしてきた魔女をにべもなく徹底的に拒絶します。

 

ここは非常に重要なポイントなのですが、
記憶を取り戻したラプンツェルが魔女を拒絶したのは、

実は「自分を攫ったから」でもなく、
「自分を愛していなかったから」でもありません。

魔女は確かにラプンツェルを愛していたように見えます。
(ただ、その愛し方はエゴに満ちた自己中心的なもので、歪んではいましたが)

 

ラプンツェルが魔女を拒絶したのは、
「自分を攫ったから」でもなく、
「自分を愛していなかったから」でもなく、

魔女の狡猾な「操作の意思」が原因です。

 

もし魔女がラプンツェルを攫ったあとに心変りして、
「操作を施さずに」自然にともに暮らすことを選んでいたとして、
いつかラプンツェルが塔の外に飛び出し記憶を取り戻し、
二人の生活が破綻を迎えたとしましょう。

その時、ラプンツェルの魔女への態度は、
そして魔女が迎える結末は、
また違ったものになったのではと思うのです。

「攫った」という事実も、
「愛していた」という事実も、
そして「騙し続けていた」という事実も、
本編とは何ら変わらないのに。

 

 

他人の意思を捻じ曲げる「操作」は、
行き過ぎれば「負のエネルギー」となって操作者自身に跳ね返ってきます。

テクニックによる心理操作は、諸刃の剣なのです。

 

今回の記事では「隔離」を伴う極端な心理操作を取り上げましたが、
心理操作に関する因果応報の原則は、
友人、親子、家族、それから仕事の関係を含む、コミュニケーション全般にも広く通じます。

 

「神話の法則」で言えば、魔女は「シャドウ」の役割を担っています。
「シャドウ」は「物語上 最大の試練」でもありますし、
同時に「主人公と表裏一体の存在」でもあります。

つまり魔女的な側面は、誰にでも備わっているということです。

 

ただやはり、他人を「操作」することが得意な人間ほど、
「魔女」的な側面を持ちやすいものです。

「操作」すると、
自分にとって都合のよい状況を
意図的にラクに作れてしまうわけですから、
その便利さには簡単に溺れてしまうものです。

溺れやすいからこそ、濫用した時のツケというものは常に意識すべきでしょう。
セールスコピーライターとして、セールスマンとして、
お互い気を付けたいものですね。

 

今日はこんなところで。
ではでは。

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FROM : 伊藤勘司

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ABOUTこの記事をかいた人

伊藤 勘司

練馬区は武蔵関で、セールスコピーライターやプロモーターをしてご飯を食べています。
ゼロからセールスライターを超える長期企画「GIANT STEPS」運営中。

もともとは千葉の鉄鋼会社で生産管理エンジニアをしていましたが、副業で始めたビジネスで独立しました。

好きなものは、静かで落ち着いたところ全般。ソファーのある喫茶店とか鎌倉の報国寺とか、たまりませんね。最近は座禅とか瞑想とかにも興味あり。

苦手なものは、高いビルがある風景とか人混みとか。あと運動全般。「フットサルやろうぜ!」って声を掛けられると、いつも申し訳なさそうな顔をしてやり過ごします。